NO.662 あけぼの幼稚園でわらべうた12月6日

躍動

発散

 

 

 

 

今日は、長野あけぼの幼稚園と

古牧あけぼの幼稚園で

〝わらべうたの時間〟がありました

 

 

 

例年にくらべ

暖かい12月です。

子どもさん達は、元気いっぱい

わらべうたで遊びました

 

 

 

事務の先生から

「この前園庭で、年長さんが

こうやってピョンピョン

跳ねて交代していく遊びを

やってました」と、情報を

いただきました

 

 

私「わあ~それはキーリスチョンです」

 

先生「本当に楽しそうでしたよ」

 

 

幼稚園のカリキュラムとして

伺うようになり4年目

先生や園児さんの間に

わらべうたが

浸透してきているようです

 

 

 

 

 

 

 

古牧あけぼの幼稚園では

〝おてらのおしょさん〟の

変化バージョンを

とうとう生け捕りにしました!笑

スカイツリーが出てきます♪

 

 

 

せっせっせのよいよいよい

おてらのおしょさんが

かぼちゃのたねをまきました

めがでてふくらんで

はながさいたらかれちゃって

にんぽうつかってそらとんで

東京タワーにぶつかって

スカイツリーにぶつかって

ぐるぐるじゃんけん

じゃんけんぽん

 

 

 

私たちは、担任の先生が

『スカイツリーができたから

変化させた』と思いますが

ほとんどの場合、尋ねると

知らない、と首を横に振るのです

 

 

 

 小泉文夫先生の著書

子どもと遊びうた

ーわらべうたは生きているー

 草思社

のなかに、わらべうたの育ち方について

次のように書かれています

 

 

 

  • わらべうたもはじめはたぶん遊びに伴って原曲の歌詞が歌われるのでしょう。しかし次第に、意味がもっとわかりやすい言葉に替えられ、歌いやすい旋律に替わり、その地域のアクセントやリズム感が影響して、わらべうたは育っていくのです。

 

 

他にも著書には

『おてらのおしょさん』のことが

『カボチャの種』というの名前で

書かれています

 

 

 

当時発見したときの様子が

リアルにわかり大変貴重です

私がちょうど7才くらいの

ときでしょうか転校生によっての伝承が

書かれています

 

 

  • 三年前(1966年頃)、利根川流域の調査をしたとき『カボチャの種』というお手合わせうたを発見しました。これはまだあまり広まってはいませんでしたが、昨年夏、四国の土佐(高知県)の手結という町で1クラス全員がそれを知っているのを私たちの仲間の調査員がつきとめました。高知の他の町や村ではもちろんどこにもまだ発見されていなかったので、調べたところ、そのクラスに一人の少女が東京から、父親の転勤によって編入されてきたことがわかりました。彼女がはるばる運んだのです。

 

  • 楽譜の形でとりあげられている『かごめ』『通りゃんせ』『あんたがたどこさ』など以外のわらべうたは、常に子どもの口から口へと伝承し、世代から世代へ伝承されていく過程で集団的に創造されるものがもっとも自然なタイプであることがわかります。

 

  • そして、ひとたびでき上がってしまったうたでもこれで決定版というものがないことも芸術歌曲とまったくちがうところです。

 

  • 大人から子どもに教えられたものでなく、彼らの中で自然のままに生きているわらべうたはどれも、世代により、集団により、あるいは歌われる路地ごとに無数のちがった歌い方があり、それがわらべうたの本来の存在のしかたです。

小泉文夫著 子どもの遊びとうたーわらべうたは生きているーより

 

 

 

 

 

 

 

わらべうたの特徴、口承は変化するもの