おはようございます
原山です
いきなりですが
私は〝わらべうた〟を伝承しています
子どもの育ちに良い
〝わらべうた遊び〟を考えるとき
〝生きる力〟の遊びであることを
理論づけたいと
実践しています
単なる主婦ですので
なかなか、事が運びませんが
私は、なぜか
表現も含む、身体性が
とても気になっています
それは、斎藤孝先生の著書に
13年前に出会ってからです
- 「身体感覚を取り戻すー腰・ハラ文化の再生」
- 「子どもに伝いたい〈三つの力〉ー生きる力を鍛える」
- 「子どもの集中力を育てる」
本屋で偶然みつけた
この三冊を
2012年からずっと大事に
しています
「日本人の体に何が
起きているのか?」
出版は25年も前になりますが
わらべうたをやる意義も
書かれています
私なりに〝どっちん かっちん〟に
腰・ハラ文化を取り入れて
生きる力に繋げてみたり
じゃんけんわらべうたの後に
〝おんぶタクシー〟で
生きる力を鍛える動作を
入れてみたりしています
今、NHKで放送している
〝100分de名著〟
福沢諭吉「福翁自伝」では
指南役に斎藤孝先生が出ています
以前もそうでしたが
斎藤先生が解説で
100分de名著に招かれるとき
斎藤先生の著書
「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生」が
一番前に並べてあるので
先生としても
700冊以上 出版されている
なかで
やっぱり、この本が代表作なんだなと
うれしくなりました
身体性といえば
最近『国宝』と『19番目のカルテ』で
ダンサー・田中泯さんが
気になっていたところ
タイミング良く、先日
スイッチインタビューの再放送で
橋本愛×田中泯#295
〈体と一緒に生きていく〉
で対談を観ました
なるほど~身体性について
少しわかったような
足りないピースを探し当てたような
そんな気がしました
田中泯さんは俳優ですが
元々ダンサーで
「名付けようのない踊り」
というダンス公演を
これまで
世界各国30ヵ国以上で
行ってきて
型破りなダンスは
世界の知識人や芸術家に
衝撃を与え
一目置かれる存在になったそうです
【番組より】橋本愛さんは
田中泯さんと共演したとき
撮影現場で
圧倒的なオーラを感じ
話しかけることができなくて
「お芝居だけをやってきた人とは
やっぱり全然違うオーラがある
野性的な動物感が強い」
と思ったそうです
田中泯さんの踊りには
決まった型や振付けはなくて
「場踊り」と名付けた
独特の舞いで
観た人を圧倒させる
【番組より】
田中泯さん「顔も基本的には、体の一部ですよね。僕のやってるのは顔の皮の裏側から外側に向かって顔が変化していく。鏡で見るように顔を変えるんじゃなくて顔の裏側にもう一つ自分の別の顔、体の雰囲気に合わせたものを作って、それが前に出てくる。そういう考え方ですよ。僕が「場踊り」といって踊っているのは。そこから生まれるであろう踊りを夢見てそこに入っていくっていうやり方・・・。ここ劇場の環境の中にこれ(月)があるという想定で、ここのそばに来たときに僕は何を思い、観る人は何を思うんだろうか、そういう中で まあいってみれば 右往左往するわけですよね。でもできる限り自分のそこで生まれた感覚に正直な動きをして、自分の心の中に生まれた衝動のようなものを動き化してゆく。」
すごい話ですね~
〝顔の皮〟なんて
考えたことなかったです
〝顔の皮〟のワードで
一気に引き込まれ
夢中でインタビューを観ました
私は「19番目のカルテ」で
田中泯さんと松潤の
海辺のシーンでは
これは 創作ダンスの分類かな?
と思いました
自身の内面から湧き出る
イメージを
身体表現に落とし込む感じが
創作ダンスだから・・・
足下はつま先で踊る感じも
あったから
バレエのような西洋の感じも
あったし
〝生きる〟とか〝命〟とか
〝あきらめ〟〝寿命〟〝不安〟
いろいろを
演技に身体表現されていた
のかなあ
斎藤孝先生の腰・ハラ文化とは
別の要素の「踊り」ですが
はたして
〝生きる力〟に関する
共通点はあるのだろうか?
八王子で育ったルーツに
〝フォークダンス〟があって
私も学生時代に
〝メキシコの踊り〟
社会人になってから〝ロシアの踊り〟
とかやっていたので
とても興味があって
すごく面白かったのですが
この場で書いたら
とりとめのない話になってしまうので
割愛しますが
当時、大学生が真剣に
やっていたんですよね
フォークダンス~
さらに
目から鱗の話が
目白押しで、忙しいのなんの
ぐっときて
血が騒いだのは
次の話でした
【番組より】
- 世界を飛び回り、さまざまな踊りを体現した田中。行き着いた先は農業だった。野良仕事で体をつくりその体で踊ると決心。40才で山梨県 に移住した。野菜や小麦をつくり、家畜を飼う。そんな生活をおくっている。「ダンスのために作る体」でおどるのは違う。例えば「山梨県の体」と「東京の体」が違う。山の斜面で暮らしているお百姓さんの腰はあんまり曲がらないんですよ。斜面に向かって仕事をするから腰を深く曲げる必要がない。(だから)山の上のほうのお神楽はスッと立ってやるんですよ。平地に近づくにつれて腰が曲がってお神楽をやる。僕の住んでいるところも斜面だらけなので、ですから斜面に対して直角な位置になると、どっちかが下にずれていくので地面に対して垂直に立とうとすると斜めになる。それもすごく楽しいし、まっすぐ立とうとして斜面の下のほうに向かっていくと地球の中のほうに落ちていく様な感じになったり、感覚は日常茶飯事にあるわけですよね。その環境で生まれたかのような体になって踊りたい。草の生えているところで踊るときは、やっぱり草の上で生まれてきた感覚でいたいとは思いますけどね。ようするに足の裏は地面に触れていて、そこから上は空っていうか、空気があるでしょ。僕は何かそれだけで嬉しいって思っちゃうほうなんですよ。だから踊りってひょっとしたら体のことをやっているんじゃないかなって思ったりすることもあるんですよ。人間の体の中にまず踊りという〝種〟がみんな持っているんじゃないかと思うんですよね。DNAはあらゆる人間に踊りを記憶させてくれていると思うんです。縄文の時代に既に「踊り」という言葉は成立しているんですよね。特殊の人だけが踊るものでもなかった。もっと前はもっとそうだったと思うんですね。誰もが踊ることができた。なぜなら(当時は)言葉がないんですよ。で、踊りが(言葉の代わりとなる)コミュニケーションをしていたに違いないと僕は思っています。だから踊りは「見せる」「見る」というよりは「起きる」「起きた」というところで、その瞬間に共有されていくものだと僕は思うんですね。
うわ~
〝生きる力につながる〟
貴重な話が
このなかにある!
そう私は思いました
そして
俳優の仕事が増えてきたとき
「僕は、体の技を磨いて
そして、その磨かれた
体からでる言葉を
セリフにしようって
いうふうに決めちゃったんです」
「僕は一生懸命〝人を磨くんだ〟と
思って生きてるような
そういうやつなんで。
だから人によっては「下手」って
思われるんだけども
いいんです」
そして
「死ぬときにね。体に
それじゃ お別れね」って
自分で自分の体に言って
スッと終われたらいい」
う・・・
カッコいい!
すごいですよ、本当に
ところが
まだまだ、大事な話が
続きます
橋本愛さん「泯さんの出立、佇まいに本当にうそがないから、それはやっぱり「すごいなー」って思って」
田中泯さん「うそがないっていうか、バカかもしれないんだけど、うそを知らないんですよ。うそだと分るものに関しては反応したくもないっていうか・・・」
*
スイッチインタビューは
とても内容が濃いものでした
貴重な言葉を
拾いきれない・・・
実は
私の伝承している〝わらべうた〟も
子ども達の〝遊び〟であり
〝踊り〟です
文科省は
2020年の学習指導要領改訂で
小学校から中学3年まで
合わせて12年間
ダンス教育が行われるよう
にしました
目標は
「心と身体を一体として
とらえる」という
ことがあります
学習指導要領のダンスには
「創作ダンス」
「フォークダンス」
「現代的なリズムのダンス」が
ありますが
私の考えは
是非、保幼小中と15年間
のダンス教育とし
「わらべうた」もそのなかに
入れてほしいのです
生きる力を育む「わらべうた」の
踊りを入れてほしい
田中泯さん
仰っていました
人間の体の中に
まず踊りという〝種〟を
みんな持っているんじゃないか・・・
DNAはあらゆる人間に
踊りを記憶させてくれている
んじゃないか・・・と
2025/09/17
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