NO.706 信州教育に未来はあるか、読んでみました

 

 

こんばんは

はらやまです

 

 

「信州教育に未来はあるか」

山口利幸(前長野県教育長)著

しなのき書房

読んでみました

 

 

 

 

 2年半前に、中央病院の売店で購入しました。長野県の教育長をやった方は、〝親子のふれ合い〟や〝子ども達の育ち〟にどんな考えをお持ちなのかを知るために買いました。別のいい方をすれば、長野県屈指の長野高校校長をやった方が〝幼児教育で大切だと思うこと〟や、〝勉強と遊びについて〟どのように思っているのかを知るために購入しました。(あわよくば〝わらべうた〟につながればラッキーと~)

 

  

 

【著書より】 

 帯には、今は時代の転換期です。大人の真価が問われています。私は、「大人はすべて教育者を目指すべし」と思っています。もちろん、職業としての教育者ではなく教育を広く「大人と子どもの関係」としてとらえる視点からです。私が言う「教育者」とは、子どもらに接する大人の姿勢を言います。気付いたとき、一つでも、できることから、でいいのです。とあります。

(「大人はすべて教育者を目指すべし」衝撃的なことばではありますが、現代はそうしないとおっつかない(方言、笑)と思います。)

 

 

  

目次】を立読み、パラパラ 

今、学校でなにが起きているのかー信州教育の課題として、ネット問題、いじめ問題、登校拒否問題、学級崩壊問題、授業困難問題、学力問題などが書かれています。次に、追いつめられる子ども達の現状について詳しく書いてあります。激増するキレる子どもたち、過熱する受験競争、衰退するしつけ、モンスターペアレント出現、変化する地域の子育てなど、危機の背景が説明され、(Ⅲ)には激変する教育現場の今として、教員の苦悩と課題について書いてあります。

そして、ありました、ありました!(Ⅳ)危機からの脱出法―教育の復活を目指しての『親に求められること』のなかに、私の一番調べたかった〝子育てについて〟が書いてありました。(p220) 

  パラパラ、病院の売店です。〝長居は無用〟というか迷惑です。いそげ! 先を急いで本文拝見。親に求められること、子どもを無条件で抱きしめる、語りかける、聞く、一緒に遊ぶ、見守る、おおらかにそして協力の中で、という文字が飛び込んできました。さらにページをめくると、出た~~これです! 「つのつく年齢」までが勝負(はい。そうなんですよね) すぐに売店の女性に〝これください~〟と購入しました。

 

 

 

【本文より】

 「つ」のつくうちが、じつはその後の自立へ飛躍するうえで極めて重要であるのです。今まで触れてきたことを「つのつく時期」に充分やってこそ効果があるのです。(中略)9歳までが人格の基礎づくり、のちの成長、自立の基礎部分をつくる勝負の時期です。もっと大切なこと、それは「外で群れて遊ぶこと」「自然の中で遊ぶこと」です。それが身体で感性を磨くことになるからです。知のみでは子どものたくましい成長はありえません。知のみでは頭とこころがバラバラになる危険性があります。こころと体そして頭が一体になって感じとれること、その体験が重要なのです。太陽の日の光、水の冷たさやぬくもり、風の音、鮮やかな色彩で変化する木々の葉や草花の色、鳥や昆虫の姿、羽音などを見る、嗅ぐ、聞く、触る、味わうなど、五感をフル回転して得る経験は子どもの体に深く刻まれていきます。(中略)幸い、日本の自然、ことに長野県の自然は豊穣でかつ限りなく美しい。四季が明瞭であることから美の感覚、情緒など感性が繊細なまでに研ぎ澄まされてきた文化、歴史をもっています。デジタル機器が子どもたちを囲い込み始めた今、いっそう大事になってきていると思います。

 

  

 


※ちょっとだけ話題それますが、〝長居は無用〟で思い出したことがあります。もう、何年も前ですが10年くらいになりますが、仕事が終わり退社するときの軽いジョークとして「長居は無用~」と立ち去ろうとしたとき、背後から若い子の声が聞えました。「はらやまさん、今〝長芋無料〟っていいました? それ、どこですか?」大爆笑♪ 長野市は松代町が長芋の産地で私たちの身近な食物となっています。お母さんに特売情報を知らせてあげようと思ったのでしょうか。ちょっと高値であるため、こんな会話がうまれたわけです。滑舌も悪かったので起こった出来事ですが、現代の若者には「ことわざ無用」なわけです。スミマセン、思い出しました。

 

 

 

 以下は、私見になります。 

そこで、わらべうたです。私はわらべうたを広める活動をしておりますので、わらべうたと繋げて考えます。わらべうたはおよそ9歳まで、つのつく年齢までの遊びになっているのですが、山口先生の「9歳までが人格の基礎づくり」という言葉にピッタリ合うところが興奮どころです。いつ誰がつくったのかわからない、自然発生的に遊ばれてきた〝子どもの遊びの文化〟が、「人格の基礎づくりの年齢」にピッタリと当てはまるところが、わらべうたは「教育的に意義のある遊び」ということがいえる部分なのです。

 

 

 数年前から、就職において企業の求める人材は、〝コミュニケーション能力のある若者〟が首位にあがっています。それを受けて大学教育でもコミュニケーションの力をつけるカリキュラムを模索している近年の流れのようですが、「何事も遅すぎるということはない」という基本はわかっているのですが、「時期を逃すと習得するのに時間がかかる」ことを考えると「それでは遅い!」と思うのです。〝人間発達の可塑性〟っていうんですか?臨界期っていうんですか?専門用語だとどうなるんでしょうか、よく分からないのですが、一番人間がコミュニケーション能力などの社会性を身につける、適した年齢が「9歳まで」なんじゃないかなと思います。自転車に乗ることがスムーズに身につく時期、スキップがスムーズに身につく時期(なんていうアナウンサーでしたっけ?)って、ありますものね。

 

 

 

信州教育に未来はあるか!?

 

  

はい

 

 

◎くり返しになりますが、本文のなかで著者の山口先生は、人格の基礎や自立の基礎部分をつくるために大切なことは「外で群れて遊ぶこと」「自然の中で遊ぶこと」であり、知のみでは子どものたくましい成長はなく、頭とこころがバラバラになる危険性があると仰っているわけで、小学校の集団班活動や授業、学童保育にわらべうたの集団遊びを取り入れていただければ、必ずや未来につながる!と私は思っています。(それどころではないよ、2020年度から〝小学校プログラミング教育〟がスタートするんだからね、という苦悩の声がどこかから聞えてきますが・・・)

 

 

2019/04/14

 

 

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