NO.393 言語活動としてのわらべうた:のちに発見の喜び

  

 

まるで歯が立たない難解な文章もくりかえしくりかえし読んでいると、いつのまにか、わかったというのでもなく、わからないというのでもなく、なんとなく親しい気持ちをもつようになってくる。いわば素読型である。頭で理解したのではなく、体でわかるわかり方だ。

 

 

 

これは外山滋比古先生の

読みの整理学〟のなかで書かれている。

 

 

 

これからいくと

素読と

古典である〝わらべうた遊び〟は似ている… 

そう思った。

 

 

 

いきなり〝わけのわからない歌〟から入っていく~

呪文のような唱え歌もある(笑)!

でも…

講師が〝わらべうたはいいですよー♪〟

〝とにかく子どもの育ちにいいですよ♪〟と熱心にいうので~

何やらそれに押されて。。。

次から次へと

くりかえしくりかえし歌って遊ぶ。。。

そのうちに、なんとなく親しい気持ちをもつようになってきた。

頭で理解するのではなく、体でわかるわかり方だ。

 

  

 

わらべうたの作者(誰なのかわからないが…)の意図と

遊び手である赤ちゃんの読み取る意味も

おそらく不一致である。

 

 

 

ところが

2~3年たって

言語がわかってきたとき

いきなり

発見の喜びがやってくる~

 

 

 

子どももいつのまにか

得意げにやるようになり

ママにもやってー!とリクエストするようになってくる。

わらべうたの言語と子ども側の読み取る意味がようやく

少しずつ一致し始めた証拠だ。

 

 

 

そのときの

輝かしい発見の喜びを

外山滋比古先生は

次のように表現されている

〝謎と疑問をそのままにして生きていると、その中から偶然、その答を暗示する状況があらわれて、問題とヒントが、あたかも、高圧の電流が一から他へ閃光とともに放電するように悟りが成立する。〟

 

 

 

パチパチ~(拍手!)

 

 

 

わらべうたと言語活動を考えるとき

いくつかの家庭で

こういうことが起こっているのではないか…?

赤ちゃんだけでなく親にも~

と想像すると

ほんとうに。。。♡

ウキウキしてきます!

 

 

 

 2016年5月21日 はらやま