NO.1057 わらべうたの教育力『身体知としてのわらべうた』齋藤孝 著〝身体感覚を取り戻す〟より考察

 

 

 

こんばんは

はらやまです

 

 

私はわらべうたを伝承して

おります

 

 

今日、仕事の帰り

やけに道路が混んでいました

 

 

普段はスーッと過ぎる場所で

前の車が止まり

ちっとも進みません

なにげなく横をみると

公園で親子が3人遊んでいます

 

 

おや、おや

あれはおそらく

わらべうた〝だるまさんが転んだ〟

です

 

 

目をこらして見ても

どうやら間違いなさそうです

 

 

すごく楽しそうに

生き生きと遊んでいます

 

 

わらべうたは

やっぱりね!

 

 

歴史の選別に堪えて

時代をくぐり抜け

生きているんです!

 

 

そういう瞬間がくると

決まって

民族音楽学者

小泉文男先生の

言葉を思いだします

 

 

  • 大人の気づかない世界で、このわらべうたという無数の生きものは、どんなに無視されても、圧迫されても、僅かな隙間から子どもの心の中に飛び込み、新しい生命をかちとって広まっていく。(小泉文男 著 『こどもの遊びとうた わらべうたは生きている』より)

  

 

小気味がよくて

爽快感のあることば

ですよね

 

 

〝だるまさんがころんだ〟は

数多あるわらべうたの

代表格です

 

 

冬のタイヤのCMで

福山雅治さんも

「だるまさんがころんだ」と

やっていますが

 

 

22世紀がやってきても

消えることなく

生き残れる遊びに

違いないのです

 

 

 

 

 

前置きが

長くなりすみません

 

 

さて、今日は

齋藤孝先生の著書

〝身体感覚を取り戻す〟のなかから

『わらべうたの身体知』について

考えてみたいと思います

 

 

 

わらべうたの『身体知について』考える

 

 

 

 

 

今から、10年前

この本を手にしてから

わらべうたの『身体感覚』

いうものがずっと

気になっていました

 

 

私は、からだを動かすことが

大好きな子どもでした

 

 

高齢になっても

今でもからだを動かすことが

好きでいます

 

 

その連続性っていうんですか

 

 

人生のなかで

幼少期に

身についたものの繋がりの

ことが書いてあって

読んだときには

ハッとしました

 

 

  • 〈身体知としての教養〉自分の身の内にすでに蓄えられたものの本当の意味や価値が、人生のふとした場面で明らかになってくる。こうした経験は、何にもまして幸福なことではないだろうか。そこには、幼少期の学びと老年期の学びを結びつける道が存在する。自分の人生の連なりを証明する道の存在は、生きている意味の実感につながる。幼少期の自分が老年の身の内にも生き続けているという実感によって、生は肯定される。

 

 

著書では

〈古典の素読という文化〉の

ページで

書かれていますが

 

 

 

実は〝わらべうた〟も

同じことがいえる

そのように確信して

活動してきました

 

 

ところが、この

コロナ!

 

 

保育のなかでも

感染防止策がとられ

3密を避けるための

〝わらべうた遊び〟の模索が

始まってから

間もなく2年になります

 

 

このままずっと

3密を避けるために

手を繋いだり

友だちや先生と

からだを触れ合わすことが

なかったら

子ども達の

コミュニケーションの基礎を始め

育ちは

どうなってしまうんだろう?

 

 

そこで、本日は

〝わらべうたの教育力〟のなかで

この〈身体知〉や〈身体感覚〉

ってどういうことなのか

考えてみたいと思います

 

 

 

 

わらべうたは

〝伝統的な身体の遊び〟

です

 

 

教育的に捉えると

心身にとっての

大変「バランスのよい栄養の遊び」

だと

齋藤先生は仰っています

 

 

『わらべうた』という

直接のことばが

使われてない

のが残念ですが

 

 

本文では、写真集

「土門拳の昭和〔2〕こどもたち」

〝馬乗り遊び〟をしている

子ども達の写真や

〝すもう遊び〟をしている写真を

例にとって

 

 

昭和20年代から

昭和40年代あたりまで

とにかく

外で遊ぶ子どものからだが

躍動している

 

 

縄跳び、チャンバラごっこ

おしくらまんじゅう、馬乗り遊び~

 

 

このなかで

縄跳びやおしくらまんじゅうは

明らかに〝わらべうた〟です

 

 

♪「馬乗り遊びするもの

この指とまれ はーやくしないと

切っちゃうよ」と

歌をうたうと

この〝馬乗り遊び〟も

わらべうたに分類されます

 

 

実は、当時の遊びには

ほとんど歌がついていたのです

 

 

鬼ごっこも

かくれんぼも

歌がついていたので

〝わらべうた〟でした

 

 

ですが

今は歌がとれてしまった

状態です

 

 

 

〝わらべうた〟とは

歌だけをいうのではなく

子どもによる

歌が伴う身体遊びを

〝わらべうた〟といいます

 

 

 

 

齋藤孝先生は仰います

 

 

21世紀の日本の社会において

モデルとすべきは

昭和の子どもたちの身体性では

ないかと考える

(昭和20年代から昭和40年代あたりである)

 

 

子ども同士がからだを

触れ合わせ

ぶつけ合わせている光景が

非常に多い

からだで相手のからだを

感じているのである

 

 

コミュニケーションの基本

なんといっても

からだとからだの触れ合い

である

 

 

コミュニケーションの基礎が

こうしたからだが触れ合う遊び

の中に形成されて

いたのである

 

 

からだが触れ合い

ぶつかり合う機会は

今では相当減少している

 

 

かつては

スポーツという枠組みに

それぞれが入り込む以前に

遊びの中で

身体感覚が磨かれて

いたのである

 

 

(高齢になっても)

かつて、昭和の子どもたちだった

からだには

力強さや躍動感が見られ

身体のコミュニケーションも

見事に行われている

 

 

これが

日本の子どもたちの

伝統的な身体文化であった

 

 

 

 

実は

この伝統的な身体文化は

衰退の状態にあります

 

 

齋藤先生は

 

  • 消失しようとしているこの伝統的な身体文化をきちんと捉えなおし後世に残してゆく必要があり、それをやるのは幸福な子ども時代を過ごした者すべてが担うべき責任なのではないだろうか。なぜなら身体感覚を取り戻す作業の資料とヒントは自分の身体に沈殿しているのであるから。急がなければならない。

 

と仰っています

 

 

この言葉を読んでじーんと

きました

 

 

昭和20年代から40年代に

生まれた人は

伝統的な身体文化で

遊べたという意味で

〝幸福な子ども時代を過ごした人〟 

であり

 

 

その遊びで体得した

身体感覚は

身体のなかに深く沈殿していて

 

 

後世に残す身体文化の

大事な資料とヒントになる

 

 

伝承することは

幸福な子ども時代を過ごした者の

担うべき責任なのです

 

 

グッときます

 

 

 

 

この本が発行されたのは

今から21年前

 

 

この本を手にとって

衝撃をうけ

わらべうたの伝承を始めたのは

今から11年前

 

 

子ども達の身体は

さらに

変化してきているのかもしれません

 

 

 

 

わらべうたの教育力

「身体知としてのわらべうた」

コミュニケーションの基礎は

〝わらべうた〟のような

からだが触れ合う遊び

の中に形成されていた

を考えるなかで

 

 

最後に本文より

齋藤先生の大事なことばを

 ご紹介して

今日のブログを終わりたいと

思います

 

 

 

  • 21世紀に入り、社会の情報化が進めば、身体はおそらく、これまで以上に大きな課題として浮かびあがることになるだろう。自己の存在感の希薄化と他者とのコミュニケーションの困難さが二大問題となるであろうが、この二つはともに〈中心感覚〉と〈距離感覚〉という二つの身体感覚に基礎をおくものである。
  • 日本の伝統的な身体文化を一言でいうならば、〈腰肚文化〉ということになるのではないかと私は考える。現在80代90代の人たちと話していると、腰や肚を使った表現が数多く出てくる。「腰を据える」「肚を決める」などは基本語彙である。(中略)「腰を据える」「肚を決める」は、人間ならば生まれつき誰もがもっているという感覚ではなく、文化によって身につけられる身体感覚である。腰と肚の身体感覚が、数ある身体感覚の中でもとりわけ協調されることによって、からだの〈中心感覚〉が明確にされるのである。

 

 

本日のブログは

 

 

伝統的な身体文化の遊びは

〈中心感覚〉〈距離感覚〉といった

〝身体感覚の教育〟や

〝コミュニケーションの基礎づくり〟

に大変良い遊びであり

 

 

それが〈身体知〉となって

からだの中に記憶される

 

 

しかし、問題は

それが今、衰退してきている

 

 

後世に残していくには

からだを触れ合わす遊びが

〈身体知〉となっている世代の人が

先に立って伝えていく

必要があるのではないか…

という

齋藤孝先生の著書をご紹介し

わらべうたと繋げて

考えてみた内容でした

 

 

大変勉強になる本です

一度是非

読んで頂きたいと思います

 

 

まとまりのない文に

なってしまいました;

 

 

貴重なお時間

長々お付き合いして頂き

本当にありがとうございました

 

 

 

 

2021/11/27

 

過去ブログ

 

わらべうたの教育力『型の効用』について

 

 

わらべうたの教育力『まねる力』について