NO.710 松田聖子 モッキンバードみたいにはなるなよ、わらべうたはマネをする力が鍛えられる 齋藤孝著、子どもに伝えたい三つの力

 

 

 

 

こんばんは

はらやまです

 

 

 

 

 

 

 

 

〝モッキンバードみたいになるなよ〟

ってなんっすか、それ?

遊びにきた甥が

私のメモをみていった

 

 

 

 

あ、それね

テレビで大学教授がいって

たんだけど・・・

簡単に説明すると

アメリカ大陸に生息する鳥の名前で

物まねじょうずなんだってさ

ネコやイヌの鳴きまねから

動物はもちろん

車の警笛など機械音まで

マネするんだってよ

 

 

 

 

モッキングって

あざ笑う、バカにする、ふざけて真似る

という意味なんだね

人まねばかりではなく

自分の考えをしっかり持て!という

〝古いことわざ〟が南米にあるんだってさ

 

 

 

 

そこで、父親がその先生に

この、ことわざを贈ったんだ

 

 

 

 

「人まねってダメなんっすか?」

まじめな顔をして甥がきいた

 

 

 

 

うーん・・・

マネにもいろいろあるんだよ

 

 

 

 

ただ、何も考えないでマネをすることを

昔から〝猿まね〟っていうでしょ

〝猿まね〟になってはいけないけれど

〝正しいマネをする力〟は

とても大事な力なんだよ

特に乳幼児教育ではね

 

 

 

 

これからマネをする力が

生きる力に繋がっていることを

齋藤孝先生の著書から

抜粋して教えてあげるね

 

 

 

 

ちょっと、その前に

モッキンバードって検索してみたんだ

 

  1. ギター
  2. カクテル

って出てきたから

何のこっちゃって思ったけど

 

 

 

 

 カクテルの話なんかはすぐに理解できたね。テキーラを昔飲んだことあるからさ。モッキンバードってテキーラをベースにしたカクテルってことで、ものまね鳥の由来から、ものまねテキーラの感じで名前をつけたんだね。 ちょっと逸れるけどマルガリータもテキーラをベースにしたカクテルだけど、ファミレスのアップルグリムにだって、あの頃おいてあったんだよ。今ほど飲酒に厳しくないころね。名前の由来が驚くよ。狩猟にいった際に流れ弾にあたって亡くなった、恋人の名前を偲んでつけたってんだから、たまげちゃうよね。ははは。

 

 

 

モッキンバード・カクテル

 

 

 

さて、齋藤孝先生は著書のなかで〝まねる力〟についてどんなふうに仰っているかな↓

 

 

 

 

生きる力を鍛えるために

子どもに伝えたい「三つの力」は

 

 

 

  1. コメント力(要約力・質問力)
  2. 段取り力
  3. まねる盗む力

 

 

 

 そのなかでも〝まねる盗む力〟は

生きる力の基本だと先生は

おっしゃる

 

 

 

 

 

〝盗む力〟 って、万引き家族の

あれっすか?

 

 

 

 

いや、いや・・・

盗む力って〝物を盗む〟んじゃなくて

〝技を盗む〟んだよね、笑

 

 

 

 

先生の提唱しようとしている

〝まねる盗む力〟は

たんなる模倣力ではなく

眼力を使って

技を意識的に盗むということを

いっている

(非常に高度な認識力を必要とする)

 

 

 

 

マニュアルに動かされる人間ではなく

自分で

マニュアルを現実から作っていける

人間を育てることが重要であり

それを鍛えるためにも

この力が重要なのだと・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

私は〝わらべうたの伝承〟を

やっているけど

そもそも伝承の遊びは

〝まねる力〟を基盤にしているんだよね

 

 

 

 

 私自身もマネをして覚えたのは

もちろんだけど

親子の皆さんにも

マネをして覚えてもらってる

 

 

 

 

以前から、わらべうた講座で

「わらべうたは、マネをする力が鍛えられる大変よい遊びです。子どもはマネをすることで学習していきますが、まず、見ること、聞くこと、マネっこすることが出来るようにしましょう!」とコメントしているんだけど

 

 

 

 

そういえば、放送大学で

狩猟採集民を観察した

日本の研究グループが

自主性を育てる教育法として

見てマネをさせる技術について

紹介していたんだよね

 

 

 

 

動物を捕るワナの作り方や

料理の作り方を

教えるのではなく

だまって見させ、マネをさせる

教育法なんだ

それにより、自主性や創意工夫する力

育つんだそうだよ

 

 

 

 

◎齋藤先生は「子どもに伝えたい三つの力」のなかで、マネる力の教育力について、次のように書かれているんだ。齋藤先生は、わらべうたについては直接言及してないけれど、わらべうた遊びは一つの子育ての型という考えができるので、( )書きでわらべうたと入れて考えてみたんだけど、どうだろう。

 

 

  • 型(わらべうた)は達人が吟味して作り上げたものであり、それを反復練習することは達人の技の本質をまね、盗むことになる。はじめは型(わらべうた)の意味がわからなくとも、型(わらべうた)が身についてくるプロセスにおいて、その型に込められた意味が徐々に認識されてくる。型(わらべうた)の習得の過程は、まねることから入って、盗む認識力が育っていくプロセスということができる。しかも、型(わらべうた)とよばれるものは、身体の活動をともなうものであるので、できないということが外部から見ても明確である。わかっているということとできるということは、まったく違うことだ。型(わらべうた)の場合は、できなければ意味をなさない。このクリアさが、身体がかかわる活動のよさでもある。

 

  

 

著書のなかで

齋藤先生はつづける

 

 

 

 

  • 「型にはまる」という言葉は否定的な意味で使われることが多い。融通が利かない、あるいは時代の変化に即応していないなどといったニュアンスである。しかし型は本来は応用のための基本であるその基本の型をしっかりと身につけていることによって、現実のさまざまな状況のヴァリエーションに当意即妙に対応することができるようになることが、型のねらいである。

 

 

 

  • したがって、いざというときに融通が利かないというのは、型の本来の姿ではない。実体的なかたちを模倣するだけでは、型を身につけているとは言いがたい。型を自分の技として身につけた場合には、自分なりのアレンジが大幅に可能になる。型が身につくという段階で、自分の身体の特性に合わせて若干のアレンジが加えられているのが、むしろ普通だ。同じ型を二人が習得したとしても、まったく同じ動きになるということは必ずしもない。各人の身体に蓄積している特性や習慣が、型をとりいれていくにさいして微妙なアレンジを加えるからである。自分の身体に根づいたものでなければ、本当の役に立つとはならない。

 

 

 

 

 

そもそも

真似をすることについて

この世の中には賛美両論あるんだよね

 

 

 

 

私は甥に話しかける

 

 

 

 

物まね小僧、とか

まねしんぼ、などといって

からかわれるので

私の子どものころは

まねすることは 

悪いイメージだったんだ

 

 

 

 

しかし、

齋藤孝先生の著書から

〝まねをする力〟の教育力の

本当の姿が浮かび上がってきたんじゃ

ないのかなー 

 

 

 

 

齋藤先生の考え出した

コンセプトが大変勉強になるよね

 

 

 

 

〝わらべうた〟と繋がるところが

多々あり興奮するんだよ~ね

 

 

 

 

「人まねは工夫がないけど

真似をして学び

それを足がかりに何かを発想して

そしてうまくいけば

偉大な発明をするっていう

そういう流れってことっすか?」

甥ははなかなか、筋がいい

 

 

 

 

そっ、そう、そういうこと~

 

 

 

 

追伸:いい忘れていたけど、モッキンバードも実は、動物の鳴き声や機械音をただ真似しているだけではないんだ。猿まねだけではなかったんだよ。それらを組み合わせてさえずることができるんだってさ。だから、すばらしい鳥なんだよ。まあ・・・歴史のなかで進化してきたってことかもしれないけどね・・・

 

 

 

 

 

ちなみに、松田聖子さんありました♪↓

 

モッキンバードちゅんちゅるる

 

 

 

 

 わらべうたのチカラ